2012年 02月 06日
桂枝雀さんの手
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土居原先生とはNHKで知り合った。
NHKの21世紀ビジョンを知りたくてアポを取ったら、土居原作郎先生が現れた。
その時は、先生が何者か知らなかった。
取材が終わって雑談になった時、
「僕はね、女性と握手すると、その人がどんな人か分かるんですよ」と、初対面の僕に言った。
驚いた。聞きようによっては女性を口説く時の常套句のようにとられる。おもしろい人だなと思い、友達になって下さいと言ったら、気さくにオッケーが出た。
※この写真は本文と関係ないが、大阪天満宮での大道芸大会。土居原先生は審査委員長だ。
土居原先生は、確かにおもしろい人だった。
大阪発の朝ドラのほとんどは、土居原先生の演出だったり、プロデュースだった。
文化芸能関係者にはよく知られた人。吉永小百合さんや藤田まことさんと一緒に仕事をした人で、エピソードをわくわくしながら聞いた。
一番印象に残っているのが。桂枝雀さんとの出会い。
「なにわの源蔵事件帳」の源蔵役は、桂枝雀さんしかいないと土居原先生は心に決めた。
お願いに行くと「とても、私なんか、出るまくではおまへん」とやんわり断られた。
枝雀さんは完璧主義でシャイなのだ。当時、すでに落語家としては超一流の人だったにも関わらず、極端に謙虚だった。
土居原先生は断られて「そうでっか」と引き下がる人ではない。
それから7回ぐらい頭を下げにいった。
ついに枝雀さんが折れた。
「こんな私に、そこまでしていただいて……」
1981年10月14日からNHKの水曜ドラマとしてスタート。枝雀さんの好演に大ヒットした。
それ以来枝雀さんは土居原先生を友人として大切にして来た。
土居原先生がNHKを「卒業」して大阪芸大の教授になったお祝いのパーティーで、僕は枝雀さんに
「ぼくは土居原先生の友達ですから、友達の友達として握手してください」とむちゃブリを発揮した。
柔らかい手だった。
【OMORO事務局 正光 力】
Copyright © Dec.15.1987-2012 OMORO All Rights Reserved.
NHKの21世紀ビジョンを知りたくてアポを取ったら、土居原作郎先生が現れた。
その時は、先生が何者か知らなかった。
取材が終わって雑談になった時、
「僕はね、女性と握手すると、その人がどんな人か分かるんですよ」と、初対面の僕に言った。
驚いた。聞きようによっては女性を口説く時の常套句のようにとられる。おもしろい人だなと思い、友達になって下さいと言ったら、気さくにオッケーが出た。
※この写真は本文と関係ないが、大阪天満宮での大道芸大会。土居原先生は審査委員長だ。
土居原先生は、確かにおもしろい人だった。
大阪発の朝ドラのほとんどは、土居原先生の演出だったり、プロデュースだった。
文化芸能関係者にはよく知られた人。吉永小百合さんや藤田まことさんと一緒に仕事をした人で、エピソードをわくわくしながら聞いた。
一番印象に残っているのが。桂枝雀さんとの出会い。
「なにわの源蔵事件帳」の源蔵役は、桂枝雀さんしかいないと土居原先生は心に決めた。
お願いに行くと「とても、私なんか、出るまくではおまへん」とやんわり断られた。
枝雀さんは完璧主義でシャイなのだ。当時、すでに落語家としては超一流の人だったにも関わらず、極端に謙虚だった。
土居原先生は断られて「そうでっか」と引き下がる人ではない。
それから7回ぐらい頭を下げにいった。
ついに枝雀さんが折れた。
「こんな私に、そこまでしていただいて……」
1981年10月14日からNHKの水曜ドラマとしてスタート。枝雀さんの好演に大ヒットした。
それ以来枝雀さんは土居原先生を友人として大切にして来た。
土居原先生がNHKを「卒業」して大阪芸大の教授になったお祝いのパーティーで、僕は枝雀さんに
「ぼくは土居原先生の友達ですから、友達の友達として握手してください」とむちゃブリを発揮した。
柔らかい手だった。
【OMORO事務局 正光 力】
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by omoro-15
| 2012-02-06 10:43